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高森明勅
2017.2.11 22:00

「象徴行為」の一資料

熊本市役所に勤務されていた折田豊生氏が、
年頭にご発表になった御製を解説された文章の中で、
地元の熊本に両陛下がお出ましになった時の様子を記されている
『国民同胞』664号)。

言う迄もなく、例の
幼子の静かに持ち来(こ)し折り紙のゆりの花手に避難所を出づ」
の御製にちなんでだ。

はしなくも、陛下の公的行為(象徴行為)が持つ意味を、
改めて考える場合の貴重な資料になっている。

よって、ここに引用させて戴く。

「昨年4月、震度7の大地震が2度も熊本に発生し、
県内各地で甚大な被害が生じた。
御心を痛めてをられた天皇皇后両陛下は、
『1日も早く赴きたい』
との御意向を示され、
地震後1ヶ月余りの5月19日、
未だ余震が頻発してゐる状況下で、
南阿蘇村と益城町の避難所を見舞われた。

被災状況をお見回りになるヘリコプターの中でも
黙祷を捧げてをら
れたといふ。

その御心は、両陛下の御来訪を心待ちにしてゐた
人々にも通じてゐた。

胸一杯の不安を抱へながら仮設住宅で暮らしてゐた
益城町の主婦・
野田さんは、両陛下が搭乗される
ヘリコプターが点になって見えたとき、
ああ、これで救われる』と思ったといふ。

野田さんは、12月末、益城町文化会館で開催された
天皇誕生日奉祝会において、壇上に立ち、
両陛下に
お励ましを頂いたそのときの思いを涙ながらに語ったので
あった。

避難所の1つである益城町中央小学校を
御訪問になられた両陛下は

多くの被災者に寄り添はれる如く、
膝をおつきになってお言葉をかけて行かれた。

その途中、ややはにかみながら何も言はずに
手作りの折り紙の花を差し出した
女の子がゐた。

陛下は、ひ孫ほど齢の離れたその子を見詰められ、
その質素な贈り物を優しく受け取られた。

それは、陛下と幼い女の子の間に生じた
一瞬の無言の語らひであり、
御製の『静かに』といふお言葉には、
その場の阿吽の呼吸ともいふべき思ひが秘められている。

両陛下は、多忙な御公務が続く中で、
春の叙勲関係の行事の翌日、
警備の負担等にも配慮され、
日帰りで熊本を御訪問になったのであるが、
お言葉を賜ったのは被災者だけではなく、
各行政機関の関係者、
救助・対策活動に尽力した
警察、消防、自衛隊の関係者、
ボランティアをも労はれた。

御高齢の両陛下には御負担の大きい強行日程であり
畏れ多いことで
あったが、女の子が差し出した小さな折り紙の
『ゆりの花』は、
熊本県民を代表する両陛下への
謝意としてお受け止め頂いたものであらうと思ふ。

この御製をお詠みになったことが何よりそれを示すものであり、
県民としても畏れ多く有難いことである。

ゆりの花手に避難所を出』られるときの
大御心をあらためてお偲びしたい」―

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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